■長岡社と長岡育英寮について

1.長岡社の沿革   

 

  明治3年、戊辰戦争後の藩の疲弊の中で、支藩から受けた救援の「米百俵」をもとに藩の人材育成のため国漢学校を創設した長岡藩小林虎三郎の故事は広く知られている。その志を同じくした虎三郎の弟、雄七郎らの提唱により明治8年に創立されたのが「長岡社」で、日本最初の育英団体である。

 資金は長岡に縁のある社員の拠出によったが、戊辰戦争後の衰微の中で高い志に支えられたスタートであった。翌明治9年4月に第1回給費生として3名を選考し、学費を貸与して東京で学ばせた。以来この奨学金により、橋本圭三郎(1865~1959 日本石油第2代社長で昭和初期から終戦までの日本の財界の指導者)、西郷吉弥(1872~不詳 医学博士、陸軍軍医総監、日本赤十字病院長)、島峰徹(1877~1945 昭和3年東京高等歯科医学校設立、日本歯学界の先駆者)、山本五十六(1884~1943 太平洋戦争連合艦隊司令長官)等多数を世に輩出してきた。

 

2.長岡育英寮  

 

 長岡社は明治、大正、昭和にわたって専ら奨学金貸与という形で育英活動を続けてきたが、戦時中に一時活動を中断した。戦後世情の落ち着きの中で、田村文吉(北越製紙社長、長岡市長,郵政兼電気通信大臣)、駒形十吉両氏等が長岡及び長岡ゆかりの東京の有志に働きかけて、昭和31年に長岡出身者の為の大学生寮を東京都武蔵野市に建設した。これが現在の「長岡育英寮」である。

 爾来毎年趣旨に賛同する各方面からの浄財を仰ぎながら寮運営を行っているが、建設の翌32年に28名の大学生を受け入れたのをスタート(当時は1室2名、現在は個室)に、現在までに300有余名が巣立ち、各界で活躍している。

 建物については平成11年に大改修を実施、平成15年には部屋ごとにエアコンを設置、さらに近年懸念されている東京の直下型大地震に対応するため、寮生OBを中心に、長岡にゆかりのある企業、一般の方々にご寄付をお願いし、平成28年に耐震補強工事を実施して東京都の耐震審査をクリア、令和5年には各部屋などのリフォーム、インターネット環境(フリーWi-Fi)を整備し同年10月からは内装工事を実施、一人一部屋の安全で快適な環境で勉学に専念できるよう努めている。